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仮想現実が医療教育の処方箋に

(出典:ipopba - stock.adobe.com)

医学教育の現場では、遺体を用いた研修を補うものとして、仮想現実 (VR) と拡張現実 (AR) の活用が始まっています。米国ケース・ウェスタン・リザーブ大学の医学生は、解剖学の学習にVRを利用しています。スタンフォード大学では、同校が開発した「Stanford Virtual Heart (バーチャルハート) 」を活用し、医学生はVRヘッドセットを装着して、心臓の複雑な動きについて学んでいます。

コロナ禍という社会状況の後押しもあり、仮想現実と拡張現実は、医学教育において、遺体解剖を補完する教育ツールとして今や欠かせないテクノロジーになりつつあります。

医学教育事情

献体の取得には、かねてから倫理と法律上の問題が常につきまとっていました。近年、米国では献体が増加しているとはいえ1、遺体解剖という手法は、言わば一発勝負です。学生は教材を繰り返し見直すことができず、時には下に隠れた臓器を見るためにある部位をまるごと破壊しなくてはなりません。より深い理解と経験とは、繰り返し行うことで得られるものですが、遺体解剖に依存した教育方法では、それも容易ではありません。

外科手術では、人体構造だけでなく、それぞれの臓器・器官がどのように関連しているのかを理解することが重要です。残念ながら、そのような相互依存性を観察するのは、実際の解剖実習では難しく、珍しい症例に至っては、それを可視化して理解するのがさらに困難になります。

仮想現実 (VR) 、拡張現実 (AR) 、複合現実 (MR) は、決して遺体を用いた外科研修に完全に置き換わるものではありませんが、現在のアプローチを補完する強力なツールになります2

ARとVRで学習を補う

ARでは、教科書や教材の上に3Dモデルを重ねることで、より没入感が生まれます。基本的にARによって、静止した2次元画像はよりリアルな3次元で表示されます。

VRでは、解剖の体験をシミュレートするので、学生は現場にいるような臨場感が得られます。触覚体験や画像の忠実度にはまだまだ改良の余地があるという指摘はありますが、高解像度やネットワーク通信、触覚フィードバック技術の向上により、現実にかなり近い体験が得られるようになっています。

また、AR、VR、MR (複合現実) の技術は、連携させることもできます。医療教育用学習ツールを提供するソフトウェアは、何時間にもわたる実際の手術映像や医療画像、CTスキャンなどを取り込むことで、モデルの徹底性を向上させます。

その一例として、英国のMedical Realities社は、何時間にもわたる外科手術の様子を現場の光景も含めてリアルタイムで配信しています。学生はVRヘッドセットを装着して、実際に行われている手術を見学し、オンデマンドで様々な技術を選択して視聴することができます。例えば、腹腔鏡の映像を選択すれば、手術の様子を観察しながら、解剖学的構造を確認することもできます。その際、関連する各臓器の画像が画面に表示されます。その結果、実際の手術が学習した内容と連動しているので、より没入感のある体験ができます。

名門医学部であるニューヨーク大学ランゴン医学部 (NYU) では、VR、ARによる医療研修に、複雑な臓器の3Dモデルも活用しています。例えば、NYUの生活解剖学のクラスでは、実物大の精密画像を3Dテクノロジープラットフォームに統合させており、これにより学生は人体をはじめ、自分たちが行う手術についてより包括的に理解することができます。人体を回転させて様々な角度から観察し、複雑な血管網を調べ、各部位がどのように関連しているのかを把握できます。また、解剖学3Dモデルが搭載されたデジタル教材を用いることで、より効果的に学習できます。

スタンフォード大学は、学生がVRヘッドセットを装着して、実際に心臓を「見学」できる、Virtual Heart (バーチャルハート) を開発しました。ここでも心臓の各部位を開いて、それぞれがどのように関連しているのかを把握することができます。

以上の目的は、このような医療教育プログラムや関連技術を利用しやすくすることで、世界における医療教育の格差を是正することでもあります。しかし、残念ながら、遺体解剖ラボの建設にはまだ高額な費用がかかるというのが現状です。

VRとARのメリット

VR・AR技術の医療教育への活用には、次のような多くの利点があります。

  • 自然環境をシミュレートする技術がかねてから注目されてきましたが、新型コロナウイルスの拡大によってその採用が進んでいます。教育ツールとしてのVRの活用は、コロナ禍においてより安全なアプローチといえます。
  • また、学生は必要に応じて教材を見直して、自分に合ったペースで学習を進めることができます。疑問があれば、その箇所を復習し、手術の関連部分を再生させることも可能です。VRとARは継続学習にも効果的です。
  • VR技術により、オンデマンドで何時間でも視聴することが可能になりますが、これは遺体解剖ではかなり難しいことです。
  • 経験豊富な医師も手術手技を再検討したり、新しい手技を学ぶことができます。また、進化の激しい分野でベストプラクティスを提供するために、他の医師たちとリモートで協働できます。現実世界では、複雑な手術を実施する前にデジタル上で練習することも可能です。

まとめ

医療教育において遺体解剖が重要であることには変わりませんが、その一方で、VR・AR技術によって外科手術や解剖学の教育方法は既に劇的に変わり始めています。新しい世代の医師たちは、VR・AR技術を駆使し、従来の手術手技研修では得られなかった大きな効果を得るようになります。それは従来の教育方法に置き換わるものではありません。むしろ、あらゆる方法を用いることで、学生にも経験豊富な臨床医にも世界で最高の医療技術を提供することが可能になるのです。

出典

  1. Kalter, Lindsay. “Compassion Begins with the Cadavers.” AAMC.org, April 15, 2019. https://www.aamc.org/news-insights/compassion-begins-cadavers.
  2. “Human Cadavers vs Virtual Cadavers in the Educational Setting.” MEDCURE.org, April 4, 2022. https://medcure.org/human-cadavers-vs-virtual-cadavers-in-the-educational-setting.